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  • 石原太一館長のことば


    石原太一館長からのメッセージです。以下、3部構成です。

         保護者のみなさまへ…
         受験生のみなさまへ…
         鳥取県自体の存続のために…

    保護者のみなさまへ…


    子どもに持って欲しい考え方は、次の3つです。 
    1. 自分のやりたいことを突き詰めれば、社会の役に立つ
    2. わからないことはわからないと言う
    3. 未来はわからない、自分がいつ死ぬかもわからないという前提に立つ

    私から保護者の方に向けるメッセージは、次の4つです
    1. 子どもは親の鏡です
    2. 子どもに期待をしてはいけません
    3. 子どもがどんな気持ちで日々を生きているのかを聴こう
    4. 人と同じことをするのが”唯一の正解”ではない
    −−−−−−−−−

    子どもは親の鏡です。
    これは、「子どもは親に教わった考えにもとづいて行動する」という意味ではありません。
    「親の普段の行動が、子どもに反映される」という意味です。
    うちの子は何を考えているかわからない、わからないところを質問しない、将来のことを全然考えていない、という保護者の方は少なくありません。
    しかし、それはほとんどの場合、保護者の方の行動を見て真似をしているに過ぎません。
    つまり、何を考えているかわからない、わからないところを質問しない、というのは、保護者の方が、自分がどう考えているかを相手にわかってもらおうとする努力を普段からしていないからです。


    以心伝心、という都合の良い言葉があるおかげで、「子どもと私は以心伝心」「子どもは私のことをわかってくれている」「いつも近くにいるんだからわかってくれるはず」といった都合の良い期待をしてしまいます。

    以心伝心、というのはともに行動する・考える目的があってこその話であります。そもそも親と子どもでは、生きる目的は大きく違います。別々の行動理念で動いている人同士が、考え方を共有する、とは考えられません。

    そして、これから子どもが生きる年代は、子どもにとっては未知である一方で、親御さんにとってはすでに生きてきた年代であり、ある程度「こう考えていたらよかった」「こう考えてきたから今の自分がある」というような確証があるという、情報が片方だけに不足している状態があります。

    将来のことを全然考えていない、という印象を保護者の方が持つのは、こうした「情報の非対称性」から生じるものです。


    「これからどのように生きていけばよいか」
    なんていうことは、本質的にはわかることはありません。子どもの気持ちになってみれば、わからないところに、コンクリート製の道を親から提示されて、それだけで安心してその道を歩むことを決断できるでしょうか?

    親が生きてきた「若者時代」と、これから子どもが生きる「若者時代」とは全く異なります。
    親が提示したコンクリート製の道も、今の時代にはそぐわないものかもしれません。
    あくまで子どもは親とは別の人格です。
    子どもにとってどんな道が望ましいのか、一緒に考えてみてはどうでしょうか。
    −−−−−−−−−

    子どもに期待をしてはいけません。
    期待というのは、親の幸せのイメージを押し付けることではありません。子どもに必要なのは、次の時代を生き抜くのに必要な力、そして各々の生き方、幸せのありかたを見つけていくことです。

    親と子どもは似ているかもしれませんが、全く違う基準で生きています。まずはそのことを認めてあげてください。親の期待、つまり親の幸せなイメージを押し付けることは、子どもを苦しめるだけです。

    ましてや、親の期待通りに動かないことで、怒ってはいませんか。
    子どもに「親の期待通りになりたい」という意識を植え付けようとしていませんか。

    そして、親の期待通りに動かない、期待通りの発言をしないときには耳を貸さないようになってしまっていませんか。「そんなことは言っては・訊いてはダメだよ」という封殺です。

    そうして育てられた子どもは、親がそう行動する通り、「自分の期待していない知識・環境」には目を向けなくなります。「わからないこと」は、自分の期待していないことであるので、「わかっていること」との区別がはっきりとつかなくなります。こうして「何を質問してよいかわからない」という子どもに育ちます。

    本当は世の中は未知にあふれていて、知らないことだらけで気持ちが悪く、いろいろなことを知りたいと思うのが常だとは思うのですが、なまじ長く生きてきた大人が「知っていることにだけ目を向けるだけ」という姿勢でも生きることができる大人の姿勢を見ていれば、これでいいのか、と子どもが思うのもまた常です。


    子どもに期待をしてはいけません。
    必要なのは、これからの未来を子どもと一緒に考えることです。今を生きるのに必死なのは、親だけではなく、子どももそうです。お互いが必死に生きています。親の生きてきた通りに、あるいは親の理想と思うように生きることが、唯一の正解ではありません。今、考えていかなければいけないことです。
    そしてもう一つ必要なのは、何かあったときに手助けをする準備がある、だから一生懸命生きなさい、という声掛けです。そうして安心して頑張らせていきましょう。
    −−−−−−−−−


    子どもたちが毎日どんな気持ちで学校に行くのでしょうか。
    子どもたちは一生懸命、学校で楽しんできています、気持ちが乗らずに勇気を振り絞って行く子どももいます。中には、嫌な先生や友達がいて行きたくない、という子どももいるでしょう。
    どんな先生や友達がいるにしろ、それを「ダメな先生」「ダメな友達」とレッテル貼りをすることで何か問題が解決したとか、自分たちに非はないとか、責任を回避したとか、そういう思い込みはありませんか?

    どんな嫌いな人であっても、いいところはあります。
    相手の立場を考えてものを言いなさい、とよく言われますし、保護者の方ならきっとそのように子どもに言っているでしょう。しかし、こういった場では、親御さんたちは子どもを守ろうとしてか、安易なレッテル貼りをし、その人を排除することでで事態を終わらそうとしています。

    人間は、それぞれの考え方にもとづいて、合理的な判断をしながら日々を生きています。これは、親や子どもだけでなく、誰もがそうです。つまり、人の言動には、彼らにとって合理的な意味があるからこそ、一見非合理的に見えても、やっているのです。

    どういう気持ちで、どういう意図があって、そのような行動をとっているのか、訊いてみてはいかがでしょうか。また、そのときに、どういう意図があって、こういうことを訊くのか、ということを子どもに伝えてみてはいかがでしょうか。


    1つ、補足します。

    子どもは、考えていることを「ことばで」伝えるのに慣れていません。たいていは、問題行動をおこして「かまって」とアピールします。この前提に立ってください。

    しどろもどろになりながら、何かを伝えようとしているときには、最初から「何が言いたいの」と糾弾するのではなく、「何がいいたいのかしっかり聴いてあげる」親の姿勢が必要です。
    −−−−−−−−−
    人と同じようなことをするのが正解だと思っていませんか。
    大学に行かせることが、人生の唯一の道だと思い込んではいませんか。あるいは、兄・姉がたどった道を妹・弟もたどることが正解だと思い込んではいませんか。

    安定した職業に就職することを、推奨しすぎていませんか。
    安定した職業、というものが事実として存在するのかどうか、本当に考えてみたことがありますか。

    自分の人生の歩み方が唯一の正解ではありません。兄弟で同じ歩み方をすることが正解ではありません。子ども一人ひとりが、彼らが思う道を見つける手助けをしてあげるのが親の役割であり、そうした道を見せることができる師や友がいるようなところに導いていくのが親の役割であります。

    子どもが、勉強に興味を持てない、その事自体は問題があるのでしょうか。それを家庭の外からやってきた何かに取り憑かれているからといって済ませようとしていませんか。
    「親」という漢字のとおり、木の上で立って見て声掛けをするだけならまだしも、降りてきて無理矢理引きずり回すような真似はしてはいけません。
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    受験生のみなさまへ…


    もう一年頑張ろうという決意を持った人へ。

    『社会に貢献する人財』を育てるのが社会の基本的な役割であり、新たな社会を形成していくことが、社会に生きる人財が行うことです。

    しかし、大人たちは「育てる」ということを放棄して、「若者が自ら向上する」ことを大きく期待しすぎました。「現状の危機を伝えれば、彼らはそれを打破しようと頑張るだろう」と。そうはなりませんでした。

    君たちがこれから生きていく時代と、大人たちがこれまで生きてきた違いは、根本的に違います。君たちは徹底的な現実主義者で、将来にわたって経済的な成長が日本・世界で必ず湧き起こる、とは信じがたいという感覚を持っています。

    こんなことを言えば、いろいろな大人たちから「今、みんなが将来を良くするために取り組んでいるのに、水を差すんじゃない!」とおしかりを受けそうです。

    しかし、実際に景気がよくなっている、みんなが持っているお金がどんどん増えている、という感覚は持てないでしょう。ましてや自分でお金を稼いでいるわけではない君たちにとってはなおさらそうでしょう。

    君たちの未来は、君たちでつくるものです。今の時代を動かしている大人たちの動向には注意を払ってしっかり生き抜いていきましょう。

    受験は、人生の「一部」です。「すべて」ではありません。

    人生においては、人間は、いつかは死に至ります。今の若い時間が無限に続くことはありえません。
    そして、根本的な原則として、「未来はわからない」ということがあります。「自分がいつ死ぬかわからない」と言い換えてもいいでしょう。
    大人たちは「あなたの将来はこうなる、こうすべき」ということを物知り顔で言いますが、どうしてそういうことが言えるのでしょうか。あなたの将来は、誰かが知っているものではないですし、ましてあなた自信も知らないものでしょう。それをどうして親が知っているといえるのでしょうか。

    あなたたちにできるのは、望む未来を得るためにはどのように行動していこうか考え、そのような行動を進めていくことだけです。
    一人では不安でしょう。
    倉吉鴨水館では、僕が君たちと一緒に、それぞれの未来をどのように生きたいのか、一緒に考えていきます。

    自分がどのようにして社会に貢献するのか、そもそもどんなことをするために大学に行くのか、まともに考えないままに、君たちは進路を決め、あるいは誰かに決められていきます。

    大人たちに言われるまでもなく、君たちは誰もが社会に貢献していく可能性を秘めています。
    逆説的ですが、君たちがやりたいことを徹底的につきつめていけば、それは必ず社会貢献につながっていくはずです。君の夢の先には、必ず「誰か・何かへの貢献」があるはずです。君の夢・やりたいことを成し遂げることで、誰がその恩恵を受けるのか? 無数の人々が、その行動に影響を受けるはずです。

    たかが受験、と甘く見ず、人生と思って取り組んでください。君たちが自ら求めて、自ら考えて、自ら学習することで成績なんてものはすぐに上がっていきます。その代わり、それ相応の取り組みは必要としますので、やりぬくことを決意してください。

    わたしが倉吉鴨水館にて目指すものは生徒同士が刺激しあう空間です。

    君たちは、私が導いていくまでもなく、自分たちで高めあうのです。周りの人を動かせない人が、自分のなすべきことを達成できるのでしょうか? 積極的に同志達と関わり合い、将来、社会に貢献する素養を身に付けてください。

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    大学入試が不安な人たちへ。

    大学入試に落ちたらどうしよう、と思って不安になる人はたくさんいます。たくさんいるから、不安になってもしょうがない、と思うのは勝手ですから、どんどん思ってください。

    むしろ、その不安があることを受け入れながら、どんどん人生を進めていってください。

    ”悩んでいる間は、行動せずにいられます”。考えているように見えるからです。

    目標が定まっているのであれば、考えながら行動することが何より重要です。

    「がんばっています」というのを見せるだけの勉強は必要ありません。

    予備校に通う、問題集を進める、というのは「自分のわからないことをわかるようにする」という知的好奇心を満たすという目標に加えて「大学受験にて合格点以上を取る」という数値的な目標があることが大きな前提です。

    予備校に通うことで、問題集を進めることで、「がんばっています」という主張をするだけになってはいませんか。「わかる」こと、「解ける」ことを放置していれば、成績なんて上がりませんし、あなたが見えている世界は今のまま変わりません。わからないことはわからないままの、灰色の世界です。

    「がんばっています」という、「努力」のアリバイ作りのようなことはやめて、具体的に点数を上げていく、わからないものをわからないままにせず、計画的に理解できるようにする、そういったことをやっていけば、点数は上がりますから、不安も少しは和らいでいきます。

    落ちた時のショックを和らげるために、「がんばらない」という行動を取ることは愚かです。「頑張ってなかったからしょうがないね」という言い訳をつくっているのです。

    そんな言い訳づくりをするのは、君たちが何より「大学受験に失敗すること」を望んでいるからなのです。「頑張ってなかったからしょうがないね」という言い訳をしたいと思って取り組んでいるのに、そのように言い訳できなかったら、(自分で)考えたこと自体が無駄になってしまうからです。

    自分を苦しめ、望まない結果を求めるような矛盾した考え方なんて、たとえ自分でそう考えついたとしても、無駄になったってかまわないでしょう。

    「がんばっています」というアリバイ作りのための行動や、「がんばっていなかったからしょうがなかった」という言い訳づくりをやめて、真摯に「知的な取り組み」、「学力向上」に向けた具体的な努力をしましょう。

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    それでも不安な人たちへ。

    たとえば次の大学受験も全滅したと想像してみてください。

    そのことが、あなたの人生にとって決定的な損害になるのでしょうか。

    たとえ大学へ進学できなかったとしても、あなたにできることは変わらず、「望む将来に向けて生きる」ことだけです。

    それでも大学を目指したい、何としてでも大学へ行くことでしか達成できない目標があるのなら、頑張り続けられるでしょうし、そうでなければ、普通に働けばいいだけです。生き抜く上では、どちらの考え方も必要です。

    あなたの人生にとって、「受験失敗」は何のダメージにもなりません。
    それがダメージになるとすれば、それはあなたがそう思いたいから思っているだけなのです。 > 失敗することを、極度に恐れるのは、恐れたいから恐れているのです。「大学受験の失敗」自体は単なる事実です。見方を変えれば失敗でもなんでもありませんし、取り返しがつかないものではありません。

    落ちることに不安になる前に、あなたは自分の人生をどのように進めたいのか、という「答えの見えない問い」に対して、自分なりの考え方を構築していくことが必要です。

    あなたは「自分の人生」をどのように生きたいですか。
    あなたは「他人の考えた自分の人生」を生きてはいませんか。

    「自分の人生」を生きていきましょう。
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    鳥取県自体の存続のために…


    鳥取県、特に中部地域は、若者や労働世代の減少による自治体財源確保の難しさ、自治体存続の危機に直面しています。これは単純に人を呼んで住んでもらおう、観光に力を入れて外の人にお金を落としてもらおう、といった経済的な一面だけで解決していく問題ではありません。生活環境・生育環境を整備し、子供を生み・育てやすい、大人も生きやすい、そういう環境を作り育てることが必要です。 

    鳥取県の課題は世界の過疎地域すべての課題でもあります。50年後地方自治体の8割は消滅するという予測があります。今生きている世代で50年後の当事者になりうるのは、平均寿命から考えれば幼児から30代までの世代です。

    教育に力を注ぎ、まず若者が当事者意識を持ち、世界目線で鳥取県および倉吉市の少子化課題に取り組む動きを作らなければ、消滅を座して待つだけです。

    また、若者に期待するだけではなく、現在の当事者である現在の大人たちも、この問題に真正面からぶつかっていかなければなりません。アメリカをはじめとした先進国各国で過疎地域が生まれゴーストタウンと変化していく様子から「鳥取の暗い未来」を容易に想像できます。

    いまや15歳から30代までの若者は“希少な人財”です。財産です。2000年時点で20歳までの若者は全人口に対して13.1%(1684万人)、2050年までには10%を切ると予測されています(※2)。若者があちこちで見られた世代はもう存在せず、人口の大半を支える40歳以上の人口が減っていくにつれて、日本全体の人口はどんどん下がっていきます。これからも今と同様に日本の都市機能を維持させるために、東京や大阪へ人が集まるのも無理はないように思います。

    子どもたちにどんな未来を残したいですか、想像させたいですか。必要なものはなんでもお金で手に入る時代です。しかし、一度人が住まなくなった土地は、立ち直るのに数十年かかります。お金で人は買えません。今こそ鳥取県民全員で教育にとりかかるときです。

    ※ 平成24年度国土交通白書より

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